ArtNote/作家/三田康
ARTIST

三田康

1900 – 1968日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 三田康の生涯 1900–1968

三田康(みた やすし、1900–1968)は大正・昭和期の洋画家。1900年3月6日に滋賀県大津市に生まれた。1917年に立教中学を出て同年、東京美術学校西洋画科へ入り、藤島武二に学んで、26年まで研究科に在籍した。在学中に『裸体』『靴をはく少女』が第3・4回帝展に入選した。1936年、官展の改組の際に官展を離れ、小磯良平・猪熊弦一郎らとともに、官の体制の外で芸術の自由を求める在野の団体・新制作派協会を興した。1938〜39年頃(1942年からとも)、太平洋戦争中は南太平洋方面で海軍の報道画家を務め、戦争記録画『レンネル島沖海戦』を制作した。戦後は挿絵画家としても活動し、毎日新聞連載の『残菊繚乱』や読売新聞連載の『どっこいしょ』などの新聞小説の挿絵を描いた。戦後も新制作協会で制作・発表を続けた。1967年(1968年とも)、制作のため滞在していた南フランス・ニース近郊のカーニュ=シュル=メールのホテルで心臓発作により急逝した。

三田康から広がる系譜

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