ARTIST
合田清
1862 – 1938日本 出身東京 / パリ
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■ 合田清の生涯 1862–1938
合田清(ごうだきよし、1862-1938)は東京赤坂生まれの木口木版画家。文久2年(1862年)生まれ、1880年(明治13年)に渡仏武官となった兄に同行してフランスへ渡り、当地に滞在していた洋画家・山本芳翠の勧めで西洋木版(木口木版)の研究に転じ、パリの彫版師シャルル・バルバンの工房で技術を学んだ。帰国後、山本芳翠と協力して文部省教科書の挿絵制作に携わり、芝桜田本郷町に共同で「生巧館」を開設、階下を合田の木版部(製版工場)、二階を山本の画室兼画学校とした。1888年の東京朝日新聞付録『貴顕之肖像』(明治天皇肖像)や『磐梯山噴火真図』などを制作し、板目木版中心の日本版画界に西洋式の木口木版技法を伝えた功績で知られる。1938年(昭和13年)に没した。
美術運動
生巧館木版部
明治期
山本芳翠と共に設立した木口木版(西洋木版)の工房・製版所。板目木版が中心だった日本の木版画界に西洋式の木口木版技法を導入した拠点となった。
作品例
貴顕之肖像(明治天皇肖像)
磐梯山噴火真図
木口木版画複製版画
合田清から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
山
山本芳翠
1850–1906
生巧館の共同設立者・協働者シ
シャルル・バルバン
パリで合田清に木口木版技法を教えた彫版師
同時代の作家
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