ARTIST
山喜多二郎太
1897 – 1965日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 山喜多二郎太の生涯 1897–1965
山喜多二郎太(1897–1965)は大正・昭和期に活動した福岡県生まれの画家。1915年に東京美術学校へ入り、藤島武二に洋画を、1918年頃からは寺崎広業に日本画も学び、20年に卒業した。同年、『稚児』が第2回帝展に入選し、以後、第6・8・9・11・12・13回帝展に出品した。大正期から光風会に出品し、1925年頃に会友、34年に会員となり、同年『二人の女』が帝展で特選となった。1927年に中国へ渡って学び、東洋の水墨への関心を深め、水墨画の技法と洋画を融合した独特の作風で知られた。戦後は日展に出品して評議員を務め、58年から光風会の理事となった。妙興寺本堂の天井画『幡龍図』(1956年、現在は愛知県一宮市博物館が保存)などがある。1965年に心筋梗塞で没した。
作品例
稚児
二人の女
幡龍図
油彩洋画水墨
山喜多二郎太から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
藤
藤島武二
洋画を学んだ師
寺
寺崎広業
日本画を学んだ師
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