ARTIST
山川孝次, 初代
1828 – 1882日本 出身金沢(加賀) / 江戸(東京)
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■ 山川孝次, 初代の生涯 1828–1882
初代山川孝次(1828-1882)は金沢生まれの彫金家・金工師。本名は山谷八十吉とも伝わり、江戸で柳川春重(横谷宗珉の流れを引く)に学び、彫金技法を加賀に伝えたことから「加賀宗珉」と称された。1862年頃、加賀藩の白銀師として召し抱えられる。明治期には殖産興業政策の下、1873年のウィーン万国博覧会出品作の制作にあたり、山尾治六・水野源六・平岡忠蔵・鈴木嘉平次らと金工職人group の棟取を務めた。1876年フィラデルフィア万国博覧会、1877年第一回内国勧業博覧会(金沢銅器工として鳳紋賞牌)でも受賞歴があり、加賀象嵌・金工分野の明治初期を代表する名工の一人とされる。子とされる二代山川孝次(山川小太郎、1859-1930)も同様に金工を継承した。
美術運動
加賀彫金(加賀象嵌)/殖産興業期の金工
江戸末期~明治初期
横谷宗珉の彫金技法を加賀に伝え、加賀藩御用の白銀師として活動。明治期には殖産興業政策のもと博覧会向け金工品制作の指導的立場を担った。
作品例
内国勧業博覧会出品銅器作品
ウィーン万国博覧会出品金工作品
フィラデルフィア万国博覧会出品銅器
彫金金工(加賀象嵌)金属工芸
山川孝次, 初代から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
柳
柳川春重
師
山
山川孝次(二代)
1859–1930
子・二代目同時代の作家
山
山尾治六
1873年ウィーン万博出品の金工グループで共に棟取を務めた
水
水野源六
同グループの金工師
平
平岡忠蔵
同グループの金工師
鈴
鈴木嘉平次
同グループの金工師
横
横谷宗珉
1670–1733
彫金の技法上の源流とされる江戸の名工(間接的な師系)山川孝次, 初代の作品と出会ったら、ArtNoteで記録しよう作品を撮るだけ。タイトルも作家も、AIが整理します。
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