ARTIST
川崎亀太郎
1902 – 1990日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 川崎亀太郎の生涯 1902–1990
川崎亀太郎(1902–1990)は1930年代に関西で活動したアマチュア写真家。心斎橋の丹平(タンペイ)製薬のビルを拠点に1930年に結成された、大阪の有力なカメラクラブ・丹平写真倶楽部の会員の一人として記録される。同倶楽部は、はじめ上田備山、のちに中山岩太を中心に、河野徹・平井輝七・本庄光郎、1930年代半ばからは椎原治らの写真家を集め、関西の写真を絵画的な「芸術写真」から、当時日本やヨーロッパで盛んだった実験的な「新興写真」の方向へ動かした。川崎の写真は、多くが1930年ごろのゼラチン・シルバー・プリントで、「The Camera Pictorialists of Japan, Osaka Branch」と記す当時の展覧会のラベルを付け、丹平の圏が前衛へ、そして年代の終わりには社会的な主題へと移るなかでも、彼のプリントが絵画主義のサロンの網を通じて国際的に巡回したことを示す。太平洋戦争の初期に神戸に逃れたユダヤ難民を記録した、倶楽部の後年の共同のドキュメンタリーの企て(1941年ごろ「流亡ユダヤ」として発表)にも連なる。以上は美術市場・美術館の資料(Phillips、Artnet、丹平写真倶楽部に関する日本語資料)で裏づけられ、これを超える生地・修学・その他の出品・受賞などは、いま入手できる資料では確認できなかった。1902〜1990年の生没年は競売の伝記の記述と一致する。
美術運動
丹平写真倶楽部
昭和前期
大阪を拠点に新興写真を進めたカメラクラブ
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この解説はAIが生成し、ArtNote編集部が確認しています。
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