ARTIST
新納忠之介
1869 – 1954日本 出身奈良 / 鹿児島 / 東京
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■ 新納忠之介の生涯 1869–1954
新納忠之介(にいろ・ちゅうのすけ、1869-1954)は、薩摩国(現・鹿児島市)出身の彫刻家・文化財修理家。号は古拙。東京美術学校彫刻科で高村光雲らに師事し、校長岡倉天心の信任を得て1896年卒業後は助教授となる。1898年、天心の東京美術学校辞職に伴い自らも辞職し、天心創設の日本美術院に参加。天心没後は同院の国宝修理部門(後の美術院国宝修理所)を主宰し、興福寺・東大寺・薬師寺など奈良を中心とする仏像・文化財の修理を指導、生涯に2600体以上の仏像等を手がけたとされる。原形保存を重視する近代的修理方法を確立し、日本の文化財保存事業の基盤を築いた。1954年、昭和29年に瑞宝章を受章し、同年奈良の自宅で没した。
美術運動
日本美術院(美術院国宝修理部門)
明治後期~昭和前期
岡倉天心が創設した日本美術院に参加し、天心没後は同院の国宝修理事業を継承・独立させた美術院(国宝修理所)の中心人物として、原形保存を重視する近代的な文化財修理方法を確立した。
作品例
興福寺阿修羅像修理
興福寺八部衆像修理
法隆寺金堂壁画関連の仏像修理
薬師寺仏像修理
東大寺仏像修理
彫刻文化財修理(仏像修復)
新納忠之介から広がる系譜
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