ArtNote/作家/明朗美術連盟
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明朗美術連盟

日本 出身日本

明朗美術連盟は個人ではなく、1934年(昭和9)に東京で興った日本画の団体である。画家の落合朗風(1896–1937)と川口華弱(春海)が、川端龍子の率いる有力な日本画の団体・青龍社をともに離れ、青龍社とは異なる「明朗」な絵画とその理念を掲げて設立した。1934年、東京・上野の松坂屋で第1回展を開き、戦間期昭和の競い合う日本画の世界で独立の出品団体として世に出た。落合朗風が連盟の中心にして原動力だった。1937年4月15日、急性肋膜炎で40歳で急逝したことが連盟の転機となり、中心を失って作風・運営をめぐる内部の対立が表面化した。(1937年とみられる)9月22日、新井洞巌・井上良斎ら七名がこうした相違を理由に脱退を表明し、連盟は事実上分裂した。この分裂を超える、明朗美術連盟のその後の歴史と結末はアクセスできる資料では十分に記録されず、確かな解散の年も確認できず、種データのおおよその「没年」1943年も裏づけられなかった。連盟は今日おもに落合朗風と結びつけて記憶され、その回顧展(島根県立美術館など)で「彼が目指した世界」として語られる。団体であるため個人の伝記の欄は厳密にはあてはまらず、ここでは確認できる範囲で創立者と沿革を記す。

関連の深い作家

落合朗風
1896–1937
連盟を興し中心となった日本画家
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