ARTIST
村瀬治兵衛, 初代
1897 – 1985日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 村瀬治兵衛, 初代の生涯 1897–1985
初代村瀬治兵衛(1897–1985)は名古屋に生まれた木地師・塗師で、その家系は江戸期に遡るおよそ四〜五代の木地師の家柄。光が透けるほど木を薄く挽く「薄挽き」の技で名を知られた。未仕上げの木地を作るだけに満足せず、完成した漆器を作ろうとし、その志のなかで、名高い陶芸家・美食家・数寄者の北大路魯山人(1883–1959)と、名古屋の料亭に連なる縁で知り合ったと伝わる。魯山人の影響と庇護のもと、薄挽きと塗りの双方の技を磨き、魯山人の器のための(秀衡塗の類を含む)椀を作り、薄挽きの木地の繊細さと大胆で表現的な刃の跡を結ぶ独自の作風「はつり」を編み出した。技の精緻さと絵画的な大胆さの融合は、昭和のスタジオ工芸のなかで作を際立たせた。東京の顧客からの注文が増えるにつれ、1951年に一家と工房を名古屋から東京へ移した。1976年、治兵衛の名と家の工房を子(二代村瀬治兵衛)に譲り、隠居の名「治庵」を名乗って、晩年は楽の茶碗づくりに打ち込んだ。興した工房は、家の漆・木地の画廊を保つ孫の三代村瀬治兵衛のもとで今日も続く。初代村瀬治兵衛の具体的な機関の受賞や出品での賞は、あたった資料では独立に確認できず、その意義は主に技と、記録に残る北大路魯山人との関わりに拠る。
村瀬治兵衛, 初代から広がる系譜
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