ARTIST
氏原忠夫
1915 – 1999日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 氏原忠夫の生涯 1915–1999
氏原忠夫はグラフィック・ポスター・パッケージのデザイナー。資料は生年を横浜で1914〜15年ごろ、没年を1999年とし、金沢の国立工芸館(東京国立近代美術館の一部)が関連資料を所蔵して生没年を1915–1999年と記す一方、別のデザイン史の記述は1914年とする。神奈川県立工業学校を出た。1938年に菓子製造の森永に入り、ミルクチョコレートやミルクキャラメルなどのために受賞するポスター・パッケージのデザインを生み出す商業美術家の一群を育てたことで知られた時期に、社内の広告デザインの部門で働いた。1942年以後に独立し、朝日新聞やヒゲタ醤油などの顧客のためにフリーのデザイナーとして働き、広告ポスターを作った。広告・パッケージ・ポスターのデザインで名を知られ、デザイン・イラストの刊行にも著者・寄稿者として関わった。表紙デザインは1950年代の日本の広告美術の年鑑にも現れ、デザイン誌「アイデア」第28号(1957〜58年の日本宣伝美術の年鑑を記録)などに載る。以上を超える、正確な生年・神奈川県立工業学校以前の学歴・その後の経歴・受賞などの詳しい情報は、いま入手できる資料では裏づけられなかった。国立工芸館の記載と独立のデザイン史の資料で生年が1915年と1914年に少し分かれ、美術館の一次的な伝記の文に直接あたれなかったため、一部は同館の作家ページでの確認まで暫定とすべきである。
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