ARTIST
百武兼行
1842 – 1884日本 出身佐賀 / ロンドン/パリ/ローマ(欧州) / 東京
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■ 百武兼行の生涯 1842–1884
百武兼行(1842-1884)は佐賀藩士の家に生まれた洋画家・外交官。藩主鍋島直大の学友として仕え、明治維新後は外交官として渡欧し、ロンドン・パリ・ローマに滞在する中で本格的に西洋絵画を学んだ。1875年頃からロンドンでトマス・マイルズ・リチャードソン(子)に師事し、1876年にはロイヤル・アカデミー展に出品して日本人として早い時期に海外展覧会に油彩画を出品した画家の一人となった。1878年頃からパリでレオン・ボナに師事し、さらにローマでチェーザレ・マッカリに学んだ。ローマ在任中に描いた裸婦像「臥裸婦」は、日本人による最初期の油彩裸婦画として知られる代表作。帰国後、外交官・農商務省官吏としての職務を続けたが、1884年、結核のため42歳で死去した。現存する作品は約40点とされる。
美術運動
明治初期洋画(佐賀洋画の先駆)
明治時代
明治初期に外交官として渡欧し、現地で直接西洋絵画技法を学んだ先駆的洋画家の一人。佐賀出身洋画家の始祖的存在とされる。
作品例
臥裸婦
鍋島直大像
城のある風景
油彩画洋画肖像画裸婦像
百武兼行から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
レ
レオン・ボナ
1833–1922
師事した画家ト
トマス・マイルズ・リチャードソン(子)
1813–1890
ロンドンで師事した画家チ
チェーザレ・マッカリ
1840–1919
ローマで師事した画家同時代の作家
鍋
松
鍋島直大
1846–1921
佐賀藩最後の藩主、百武の主君で欧州渡航に同行松岡壽
1862–1944
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