ARTIST
石川晴彦
1901 – 1980日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 石川晴彦の生涯 1901–1980
石川晴彦(本名・利春)は1901年、京都府に生まれた日本画家。1914年に京都市立美術工芸学校の絵画科に入ったが1918年に退いた。京都で開かれた国画創作協会の第1回展に深く感銘を受け、1919年ごろ画家・入江波光に師事した。国画創作協会を軸とする京都画壇で活動し、1923年に仲間と「制作社」を興した。1924年に六甲山のふもとへ移り、国画創作協会の指導的な画家・村上華岳の指導のもとで「清雪社」の結成に加わった。1928年に国画創作協会が解散すると、旧会員とともに後継のグループ・新樹社の結成に加わって、以後も同会に出品した。初期は美人画と緻密な肖像を専門とし、「老いらくの父」や少女を描く作を国画創作協会・新樹社の展に出した。晩年は次第に仏教を主題とする絵に向かい、とりわけこの分野で名を知られ人気を得た。目立つ晩年の仕事に、1957年に完成した、奈良県生駒郡の宝山寺の多宝塔の壁画一式がある。1980年に没した。美術館の作家記録や画商の伝記の外では生涯の記録が比較的薄いため、一部の経歴はさらなる学術の確認までの暫定とすべきである。
美術運動
国画創作協会
大正・昭和
官展の保守に反発して興った京都の日本画の団体
作品例
老いらくの父
日本画
関連の深い作家
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