ARTIST
神谷信子
1914 – 1986日本 出身日本 / アメリカ
1850189419381982現在
■ 神谷信子の生涯 1914–1986
神谷信子(1914–1986)は香川県仲多度郡善通寺に生まれた画家。家族とともに上京し、1932年に実践女学校を出たのち、東京府立第十高等女学校で国文の教師を務めながら、画家・東郷青児に連なる研究所で絵の指導を受け、作家としての道を歩み始めた。1943年、浅草の名高い神谷バー(神谷酒造)を営む家の息子と結婚して久ヶ野山あたりに暮らしたが、夫は1944年に応召し、1947年に戦病死した。のちに秋田生まれの画家・広幡憲に心を寄せたが、その関係は約一年半で、彼の突然の鉄道事故の死により絶たれたと伝わる。神谷は、1939年に興った、シュルレアリスム志向の前衛の出品団体・美術文化協会の会員で、記録には、会員仲間の阿部展也・杉全直とともに同会を脱退したことが残る。1968年ごろにはニューヨークを拠点とし、描き続けるかたわら美術の保存の技を身につけ、主に東アジアの美術品の修復にあたった。政府に連なるアートプラットフォームジャパンの日本アーティスト事典にも載る。これらの伝記の挿話を超える、出品歴・具体的な代表作・受賞の詳しい記録は、あたった資料では裏づけられなかったため、本項はさらなる資料までの部分的・暫定的な記述とみるべきである。
美術運動
美術文化協会
昭和
シュルレアリスム系の日本の洋画団体
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