ARTIST
長谷川良雄
1884 – 1942日本 出身日本
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■ 長谷川良雄の生涯 1884–1942
長谷川良雄(1884–1942)は明治・大正・昭和初期に京都で活動した洋画(洋画)の水彩画家。1884年、京都府紀伊郡東九条村(現・京都市南区)に、土地を持つ家の三男に生まれた。1902年、京都高等工芸学校(京都工芸繊維大学の前身)の図案科に入り、先駆的な洋画家・浅井忠に学んで、外光の水彩の写生の直接の指導を受けた。卒業後は浅井に連なる他の学生とともに出品した。私立の学校で少し教えたが、1907年(明治40)ごろに教職を退いた。1918年の父の没により家の財産を継ぎ、以後は家業を営みつつ、職業としてではなく絵を続けた。恵まれた家の事情と繊細な健康のため、職業の作家を目指すことはなかった。以後は出品の活動を、主に関西美術会展(関西美術会展)と京都市美術展覧会(京都市美術展覧会)に限った。京都あたりの田園・半田園の景を描く水彩の風景を専門とし、これらの地域の展の圏で高く評価され、師・浅井忠の水彩の様式にふさわしい後継と評す批評家もいた。知られる作に「桃林」「安楽寿院」「東架橋」「芽出し前」などがある。1942年に没した。官の大きなサロン(文展・帝展)の外で、専業ではなく余技として活動したため画歴の記録は比較的薄いが、中核の伝記の事実は人名事典・出品に連なる資料で裏づけられる。
作品例
桃林
安楽寿院
水彩洋画
長谷川良雄から広がる系譜
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