ARTIST
蜷川式胤
1835 – 1882日本 出身京都 / 東京
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■ 蜷川式胤の生涯 1835–1882
蜷川式胤(にながわ のりたね、1835-1882)は、京都出身の明治初期の好古家・文部官僚。父から学び若くして古美術研究に親しみ、1858年には正倉院宝物の模写図に奥書を残すなど早くから古器旧物に関心を寄せた。維新後は新政府に出仕し、1871年に町田久成らと上野・芝への博物館設置を建議、1872年には湯島聖堂で日本初の博覧会を開催した。同年、町田久成に従い伊勢・名古屋・奈良・京都の古社寺宝物調査および正倉院調査(壬申検査)に携わり、江戸城の写真記録も手掛けた。1876年に官職を退いた後は私費出版社「楽古舎」を設立し、川端玉章・高橋由一らを起用して陶器・城郭・瓦を図版化した著作『観古図説』を刊行、欧米向けに日本陶器の体系的紹介を行った。モースやキヨッソーネら外国人研究者とも交流した、明治初期の博物館事業と古美術研究の先駆者である。
美術運動
好古家・明治初期博物館運動
明治初期
廃仏毀釈・文明開化の中で古器旧物の記録・保存を目指した明治初期の好古家・博物館関係者の潮流。町田久成らと共に日本の博物館制度創設に関わった。
作品例
観古図説
観古図説 陶器之部
観古図説 城郭之部
観古図説 瓦之部
江戸城写真帖
著作(図録)写真(記録)古器物調査・鑑定博物館事業
蜷川式胤から広がる系譜
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町
川
町田久成
1838–1897
博物館創設・正倉院調査の協働者川端玉章
1842–1913
「観古図説」制作で図版画家として雇用高橋由一
1828–1894
「観古図説」制作で図版画家として雇用蜷
蜷川親正
後世に「観古図説」を編纂・再刊した子孫
同時代の作家
町
町田久成
1838–1897
共に博物館創設・正倉院調査に従事した同僚エ
エドワード・S・モース
1838–1925
交流のあった外国人研究者エ
森
エドアルド・キヨッソーネ
1833–1898
交流のあった外国人芸術家森川杜園
1820–1894
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