ARTIST
大島如雲
Ōshima Joun
1858 – 1940日本 出身東京
18001850190019502000
■ 大島如雲の生涯 1858–1940
大島如雲(1858-1940)は江戸小石川生まれの鋳金家。本名勝次郎、号一乗軒。父大島高次郎から蝋型鋳造など金工技術を学び家業を継承した。1881年の第二回内国勧業博覧会では高村光雲との合作「龍神」を出品。1887年頃から1932年まで東京美術学校で約40年にわたり教授として後進を指導し、1918年には教授に任命された。弟大島安太郎とともに工房「三清社」を運営し、最盛期には11名の助手を抱えたという。1900年のパリ万国博覧会に「稲穂群雀」を出品して金牌を受賞したほか、セントルイス万博(1904)、ロンドン日英博覧会(1910)にも出品するなど国際的にも活躍した。代表作「濡獅子図額」は東京藝術大学に所蔵されている。1940年、東京滝野川の自宅で83歳で没した。
美術運動
東京美術学校(鋳金科)系金工家
明治~昭和初期
東京美術学校で長年教授を務め、蝋型鋳造技法を用いた鋳金作品で知られた近代日本の金工家の系譜。
作品例
濡獅子図額
稲穂群雀
龍神
銀蛙相撲
鋳金彫刻蝋型鋳造
大島如雲から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
大
大島高次郎
父・師
大
大島安太郎
弟・共同工房「三清社」運営
同時代の作家
高
高村光雲
1852–1934
共同制作を行った彫刻家岡
岡崎雪聲
1854–1921
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