ArtNote/作家/新海竹太郎
ARTIST

新海竹太郎

Shinkai Taketaro
1868 – 1927日本 出身山形 / 東京 / ベルリン(留学)
18001850190019502000
■ 新海竹太郎の生涯 1868–1927

新海竹太郎(1868-1927)は山形市出身の彫刻家。仏師の家に生まれ、当初は近衛騎兵として軍務に就いたが、余技の木彫馬が評価され彫刻家へ転じた。除隊後、高村光雲門下の後藤貞行に木彫を、浅井忠に素描を、小倉惣次郎に塑造を学ぶ。1900年の渡欧を機にベルリン美術アカデミーでエルンスト・ヘルターに師事し、西欧アカデミズムの塑造技法を習得して1902年帰国。太平洋画会に参加し、同会研究所彫塑部の主宰者として朝倉文夫・中原悌二郎・堀進二らを育成し、日本近代彫刻の発展に大きく貢献した。1907年の第1回文展以降審査員を務め、1917年帝室技芸員、1919年帝国美術院会員となった。代表作《ゆあみ》の原型は東京国立近代美術館所蔵の重要文化財に指定されている。

美術運動

太平洋画会・文展・帝展系彫刻(木彫・塑造の近代化)
明治後期〜大正

後藤貞行・高村光雲系の木彫伝統を出発点に、ベルリン留学でエルンスト・ヘルターに学んだアカデミックな塑造技法を導入し、日本彫刻の近代化を主導した。太平洋画会研究所彫塑部を主宰し朝倉文夫・中原悌二郎らを育成。

運動ページへ →

作品例

ゆあみ
北白川宮能久親王銅像
彫刻塑像木彫銅像

新海竹太郎から広がる系譜

ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
新海竹蔵
縁者の彫刻家(山形美術館に竹太郎・竹蔵彫刻室)
新海覚雄
子息、画家

同時代の作家

高村光雲
1852–1934
師系・木彫の重鎮
朝倉文夫
1883–1964
太平洋画会研究所彫塑部で育成した弟子
中原悌二郎
1888–1921
太平洋画会研究所彫塑部で育成した弟子
後藤貞行
師にあたる彫刻家
浅井忠
1856–1907
素描の師
新海竹太郎の作品と出会ったら、ArtNoteで記録しよう作品を撮るだけ。タイトルも作家も、AIが整理します。
アプリを入手
この解説はAIが生成し、ArtNote編集部が確認しています。 誤りを報告する