バロック
暗闇の中から、ひとの腕がぬっと突き出てくる。カラヴァッジョが切り開いたこの劇的な明暗の手法を、次の世代の画家たちは各地に持ち帰り、鍛え直した。アルテミジア・ジェンティレスキが描く旧約聖書の女性たちは、光を浴びて筋肉を張りつめさせ、画面の外の見る者にまで緊張を伝える。バロックとは、こうした強い感情の表出と、劇場のような空間の演出を特徴とする美術である。ルネサンスが理想化された静けさと均整を重んじたのに対し、バロックは瞬間の動き、汗や涙、布のひるがえりまでも描き込み、見る者の身体に直接訴えかけようとした。
この変化の背景には、宗教改革への対抗として、カトリック教会が信仰を視覚的に強く訴える美術を求めたという事情がある。教会や修道院は、天井いっぱいに広がる劇的な壁画や、殉教者の苦悶を生々しく描いた祭壇画を通じて、信者の心を揺さぶろうとした。同時に、王侯貴族の宮廷でも、権力を誇示するための壮麗な肖像画や装飾画が求められた。アンソニー・ファン・ダイクが描いた貴族たちの肖像は、優雅な身のこなしと絹の質感によって、見る者に威厳を印象づける。
画家たちの動きにも注目したい。アンニーバレ・カラッチとアゴスティーノ・カラッチの一族は、理想化された古典的な構図とカラヴァッジョ的な写実を折衷し、ローマで一大流派を築いた。オラツィオ・ジェンティレスキはその流れを汲みつつ独自の柔らかな光を追求し、娘アルテミジアに技術を伝えた。版画の分野でも、アブラハム・ボスやウェンツェスラウス・ホラーが、都市の風俗や職人の仕事場を細密に描き、絵画とは異なる記録性を担った。
バロックの絵は、遠くから眺めるだけでは真価がわからない。画面に顔を近づけ、光がどこから差し込み、影がどこに落ちているかを追ってみてほしい。その光の設計こそが、後のロココや写実主義、さらには写真的な視覚表現にまで受け継がれていく、この時代最大の発明である。