MOVEMENT
デ・ステイル
De Stijl
1917–1931
オランダ
収録作家 8人
赤・青・黄の三原色と、黒・白・グレー、そして垂直と水平の線だけで、絵は成り立つのか。ピエト・モンドリアンが描いた格子状の画面は、この問いへの一つの答えだった。木も海も人物も描かれていない。あるのは色面と線の均衡だけである。彼はそれを「新造形主義」と呼び、自然の形をどこまで削ぎ落とせるかを追求した。
第一次世界大戦下の中立国オランダで、テオ・ファン・ドゥースブルフが雑誌『デ・スティル』を創刊し、モンドリアンやバルト・ファン・デル・レックらを糾合したのが運動の出発点である。戦争が国土を焼く一方で、オランダは戦火を免れ、絵画・建築・家具・タイポグラフィを横断する理想の造形言語を構想する余裕があった。個人の感情表現ではなく、普遍的な秩序を色と線の関係だけで示すこと。それが参加者に共有された目標だった。
この理念は平面にとどまらなかった。ゲリット・リートフェルトは赤・青・黄で塗り分けた椅子を作り、後にはユトレヒトに実際の住宅を建てた。壁と床、内と外の境界を曖昧にし、家具そのものをモンドリアンの絵のように組み立てた点で、彼は運動の建築・工芸面での典型例といえる。ジョルジュ・ファントンゲルローは彫刻でこの原理を試し、ファン・ドゥースブルフ自身も斜めの線を導入して独自の展開を図り、モンドリアンと決別するに至った。理念の統一を掲げながら、内部の対立も運動の実像だった。
デ・ステイルの造形言語は、ドイツのバウハウスをはじめ後の建築・デザイン教育に取り込まれ、直線と原色による構成は今日の都市景観にまで痕跡を残している。展示室でモンドリアンの一枚に向き合うとき、単純さの裏にある計算し尽くされた比率と、装飾を拒んだ時代の緊張を思い起こしたい。
この運動の作家
ピ
テ
テ
バ
ヴ
ゲ
ジ
フ
マ
フ
マ
ヴ
ピエト・モンドリアン
1872–1944
テオ・ファン・ドゥースブルフ
1883–1931
テオ・ファン・ドゥースブルフ
1883–1931
バルト・ファン・デル・レック
1876–1958
ヴィルモス・フスサール
1884–1960
ゲリット・リートフェルト
1888–1964
ジョルジュ・ファントンゲルロー
1886–1965
フリードリヒ・フォルデンベルゲ=ゲルデヴァルト
1899–1962
マーロウ・モス
1889–1958
フリードリヒ・フォルデンベルゲ=ゲルデヴァルト
1899–1962
マーロウ・モス
1889–1958
ヴィルモス・フスサール
1884–1960
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この解説は ArtNote 編集部が執筆しています。
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