未来派
一九〇九年、詩人マリネッティがパリの新聞に発表した宣言文は、美術館も図書館も墓場に等しいと言い放ち、疾走する自動車の美しさを古代彫刻の美しさに勝ると宣言した。この過激な言葉から始まった未来派は、絵画に「速度」と「機械」を持ち込んだ最初の運動である。それまでの絵画が静止した一瞬を捉えることを前提にしていたのに対し、未来派は動きそのもの、時間の経過そのものを画面に定着させようとした。階段を下りる人物の姿を何重にも重ねて描く、あるいは疾走する犬の脚を残像のようにぶれさせて描くといった手法は、当時普及し始めた写真の連続撮影や映画のコマ送りから着想を得ている。
背景には、二十世紀初頭のイタリアが置かれた状況がある。ルネサンス以来の美術的遺産を誇る一方で、工業化では英仏独に遅れをとっていたイタリアの若い芸術家たちは、過去への誇りをむしろ重荷と感じ、鉄道や工場、電灯といった新しい技術に未来の希望を見出した。ボッチョーニは人体を金属的な塊として造形し、都市を疾走する力そのものを彫刻に変えた。バッラは光と速度を幾何学的な線の反復として描き、セヴェリーニはダンスホールの喧騒を分割された色面で表現した。彼らはフランスのキュビスムから物体を多面的に捉える手法を学びつつ、そこに動きと騒音という新しい主題を加えた点で独自だった。
この運動は絵画にとどまらず、建築、文学、演劇、さらには料理や政治にまで及ぶ総合的な生活改革を志した点でも特異である。建築家サンテリアは実現しなかった超高層都市の構想図を残し、後の未来都市のイメージに影響を与えた。ただし機械や戦争を礼賛する姿勢は、後にファシズムとの結びつきを生み、運動の評価を複雑にしている。
鑑賞の際は、線の反復やぶれた輪郭に「止まっているのに動いて見える」仕掛けを探すとよい。金属質の光沢や都市の喧騒がどう色と形に翻訳されているかを見れば、写真も映画もまだ新しかった時代に、画家たちが速度という目に見えないものを絵にしようと格闘した跡がわかるはずである。