グループ・オブ・セブン
トロントの商業美術工房で図案を手がけていたトム・トムソンが、アルゴンキン州立公園の湖でカヌーを漕ぎながらスケッチをしていた頃、カナダの画壇はまだヨーロッパの絵画教育を模範としていた。荒々しい針葉樹林、凍った湖、切り立った岩壁といったカナダ北部の風景は、それまで絵にするには荒涼としすぎる、あるいは絵にならないと見なされてきた。トムソン自身はグループの結成前に事故で世を去るが、彼が残したパネル画は仲間たちを強く突き動かした。
1920年代、A・Y・ジャクソンやJ・E・H・マクドナルド、フランク・ジョンストン、フレデリック・ヴァーリー、アーサー・リスマーらは、トロントを拠点に「グループ・オブ・セブン」として作品を発表し始める。彼らは鉄道や汽船を使ってオンタリオ北部やスペリオル湖畔、さらにはロッキー山脈まで足を延ばし、現地で油彩スケッチを描いた。厚く塗られた絵具、単純化された輪郭、鮮やかで時に不自然なほど強い色彩は、印象派やヨーロッパの後期印象派から学びつつも、カナダの荒野そのものを主題として正面から描くための手法として選び取られた。人物や物語をほとんど排し、風景だけで一枚の絵を成立させる態度は、当時としては新しかった。
彼らの活動は美術批評からしばしば酷評されたが、同時にナショナリズムの高まりとも結びつき、カナダ独自の美術という物語を作り上げていった。フランクリン・カーマイケルの静謐な鉱山町の風景や、リスマーの荒々しい松の描写は、それぞれ個性を保ちながらも共通の理念、すなわち借り物ではない土地の絵画を持つことへの意志を示している。1930年代にはリズビン・フィッツジェラルドやエドウィン・ホールゲイトらも合流し、メンバーは流動しながら運動は広がりを見せた。
今日この絵の前に立つときは、写実の精度よりも、色と形がどれほど大胆に土地の手触りを翻訳しているかに目を向けたい。後のカナダ美術における風景表現、そして自然を国家の象徴として描く感性の源流は、まさにここにある。