MOVEMENT
円山四条派
Maruyama–Shijō School
18–19世紀
日本
収録作家 35人
円山応挙が写生帖を手に嵯峨野の竹林や動物園代わりの見世物小屋を歩き回っていた頃、京都の絵師たちの多くはまだ中国の古い絵手本を机上で模写することに精を出していた。応挙はその常識に背を向け、実際に見た通りに描くことを追求した。孔雀の羽の一枚一枚、虎の毛並みの流れ、雪をかぶった松の枝のしなり方。眼前の対象を凝視し、写し取る態度は、当時の京都画壇にとって新鮮な衝撃だった。
この写実への傾斜は独りよがりの思いつきではない。西洋から伝わった眼鏡絵や遠近法の知識、本草学や博物学の流行による動植物への関心の高まりが背景にある。応挙自身、眼鏡絵の制作に関わった経験を持ち、そこで得た空間表現の感覚を肉筆画に応用した。同時に彼は、中国の宋元画にさかのぼる装飾的な構成美も手放さなかった。写生の精度と、絵として見て心地よい構図とを両立させたところに、応挙の独自性がある。
応挙の弟子である呉春は、与謝蕪村のもとで文人画も学んだ人物で、師の写実にやわらかな筆致と詩情を加えた。この呉春の一派を四条派と呼び、応挙の円山派と合わせて円山四条派と総称する。以後、塩川文麟、岡本豊彦、そして明治に入ってからの今尾景年、山元春挙、岸竹堂らが、この流れを受け継ぎながら花鳥画や動物画に新しい工夫を加えていった。竹堂の虎、景年の四季の草花には、写生の伝統が確かに息づいている。
円山四条派は近代京都画壇の土台となり、明治以降の日本画が写実と装飾のあいだで揺れながら進む道筋を用意した。パネルの前で作品を見るときは、細部の観察の確かさと、それが画面全体の美しい配置に収まっている点の両方に目を向けたい。写生とは単に真似ることではなく、見る歓びを絵の中に定着させる技術だったことが、これらの作品から伝わってくるはずである。
この運動の作家
円
菊
塩
今
久
呉
都
西
岸
望
鈴
岸
野
川
平
三
伊
山
山
円山応挙
1733–1795
菊池契月
1879–1955
塩川文麟
1808–1877
今尾景年
1845–1924
久保田米僊
1852–1906
呉春
1752–1811
都路華香
1871–1931
西村五雲
1877–1938
岸竹堂
1826–1897
望月玉泉
1834–1913
鈴木百年
1828–1891
岸駒
1749–1838
野村文挙
1854–1911
川村曼舟
1880–1942
平福穗庵
1844–1890
三宅呉曉
1864–1919
伊藤小坡
1877–1968
山田文厚
1846–1902
山口素絢
1759–1818
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この解説は ArtNote 編集部が執筆しています。
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