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MOVEMENT

メタボリズム

Metabolism
1960s–1970s 日本 収録作家 7人

1960年、東京で開かれたある国際会議に向けて、若い建築家たちが一冊の小さな本を用意した。そこに掲げられた言葉が「メタボリズム」である。生物学でいう新陳代謝を意味するこの語を、彼らは都市と建築にあてはめた。建物とは一度建てたら固定される箱ではなく、細胞のように部分が生まれ変わりながら成長していく生命体だ、という発想である。戦後復興を経て高度経済成長へ向かう日本で、人口も産業も都市へと激しく流れ込んでいた時期に、この考え方は単なる比喩ではなく切実な設計課題として受け止められた。

黒川紀章が手がけた集合住宅は、この思想が最も明快な形で結実した例である。工場で規格生産したカプセル状の住戸ユニットを、中心となる軸に取り付けていく構造を持ち、老朽化したユニットは取り替え、必要に応じて増やすことができるという発想で設計された。菊竹清訓は住居に脚を生やして地面から持ち上げ、可変性と更新可能性を建築の骨格そのものに組み込んだ。丹下健三は彼らより一世代上にあたり、東京湾を横断する巨大な都市計画案などを通じて、都市全体を成長し続ける有機的な構造として描き直そうとした。槇文彦は個々の建物よりも、群れとして増殖していく建築群のあり方に関心を向けた人物である。

この運動の背景には、単に建築家個人の思想だけでなく、戦争で焼け野原になった都市を作り直した経験、プレハブ工法などの工業技術の進歩、そして人口爆発への強い危機感があった。丹下研究室に集った若手たちが実務と理論の両面から議論を重ね、都市計画・建築・デザインが分野を越えて結びついていたことも特徴である。原広司や東孝光もこの時代の空気の中で、住居や都市のあり方を根本から問い直す仕事を残した。

メタボリズムの提案の多くは、実際には交換されることなく現存し、あるいは解体された。しかし可変性・成長・更新という発想は、その後の世界の建築や都市計画に長く影を落としている。いま彼らの図面や模型を見るときの勘所は、実現したかどうかではなく、都市や建築を「完成品」ではなく「生き物」として捉え直そうとした構想力そのものにある。

この運動の作家

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この解説は ArtNote 編集部が執筆しています。 誤りを報告する