ピクトリアリズム
レンズが機械的に写し取った像は、果たして芸術と呼べるのか。写真が発明されて半世紀ほどのあいだ、この問いは絵画側からも写真側からも投げかけられ続けた。ピクトリアリズムに集った写真家たちは、この疑いに正面から挑んだ。彼らが目指したのは、絵画や版画に匹敵する精神性と美意識を写真に持ち込むことだった。焦点をわずかに外した柔らかな像、印画紙への手作業による加筆、油絵具や顔料を用いた特殊な印刷技法。写真を「記録」から引き剥がし、「表現」の側に置き直す試みが、各国の写真家によって同時多発的に進められた。
オスカー・グスタフ・レイランダーは複数のネガを合成し、寓意的な物語を持つ大画面の写真を作った。これは絵画の構図と主題をそのまま写真に移し替える発想である。ギュスターヴ・ル・グレーは風景写真において雲と地面を別々のネガから合成し、絵画的な調和を作り上げた。こうした手法は、写真が単なる光学的複写ではなく、作者の意図によって組み立てられるものだと示すための実践だった。
世紀が改まる頃、運動の重心は英仏からアメリカへ移る。アルフレッド・スティーグリッツは写真専門の雑誌や画廊を通じて、写真を絵画と並ぶ美術として認めさせる運動を組織的に展開した。エドワード・スタイケンやクラレンス・ハドソン・ホワイト、ゲルトルード・ケーセビアらが集い、柔らかな階調と静謐な構図によって、都市や肖像、静物に詩情を与えた。彼らの写真は輪郭が溶け、まるで木炭画やモノタイプを思わせる質感を持つ。
やがてスティーグリッツ自身が、加工を排し即物的な視覚を重んじる方向へ転じ、ピクトリアリズムは急速に退潮する。しかしその後の写真家たちが得た自由、すなわち写真は現実の忠実な写し以上のものになれるという確信は、この運動の遺産である。展示された印画紙の表面に残る筆致や粒子の揺らぎを見るとき、写真がまだ絵画に近づこうともがいていた時代の熱を感じ取ってほしい。