ロココ
太陽王ルイ十四世が世を去ると、ヴェルサイユの重々しい儀礼から逃れるように、貴族たちはパリの私邸に移り住んだ。天井の高い謁見室ではなく、小さな客間や化粧室が社交の舞台になる。そこで求められたのは、王権を誇示する厳めしい装飾ではなく、会話や恋の駆け引きを弾ませる軽やかな空気だった。壁面には貝殻や葉飾りを思わせる曲線の装飾が施され、絵画もそれに合わせて小ぶりで甘やかな画面へと変わっていく。ロココという名は、この貝殻模様を指す言葉から後につけられた。
その空気をいち早く絵にしたのがアントワーヌ・ワトーである。彼は貴族や俳優たちが庭園でくつろぎ、音楽を奏で、恋を語る情景を、淡い色彩と霞のような筆致で描いた。人物たちの表情はどこか儚く、享楽の裏に漂う寂しさを感じさせる。この「雅宴画」と呼ばれる主題は、フラゴナールに受け継がれ、ブランコに乗る娘の靴が宙に舞う場面のように、より官能的で軽妙な方向へ進んだ。一方でシャルダンは同じ時代に、厨房の壺や果物を静かに描き、貴族の遊興とは対照的な市民の生活に眼を向けている。
肖像画の分野ではナティエが貴婦人を神話の女神に見立てて描き、優雅さと権威をやわらかく結びつけた。イギリスのホガースは風俗を鋭く諷刺し、ヴェネツィアではティエポロ父子が天井画に軽やかな光と雲を描き、カナレットは観光客向けに都市の風景を写し取った。こうして見るとロココは一つの画風というより、宮廷文化が世俗の楽しみへと開かれていく過程で生まれた、装飾と絵画の緩やかな共振だったとわかる。
やがてポンペイ遺跡の発掘やヴィンケルマンの古代研究が興ると、ロココの装飾性は軽薄なものとして批判され、新古典主義の厳格な線描がこれに取って代わる。それでも、ワトーの霞んだ筆致やフラゴナールの躍動する筆さばきは、後の印象派の画家たちに再評価された。作品を前にしたら、描かれた恋人たちの視線の先や、絹の衣服がたてる光の揺れに注目してほしい。そこには、革命前夜のフランス社会が最後に見せた、はかなくも贅を尽くした笑みが残っている。