ArtNote/作家/松田豐
ARTIST

松田豐

1942 – 1998日本 出身日本
1876191419511989現在
■ 松田豐の生涯 1942–1998

松田豐(1942–1998)は大阪・住吉に生まれた美術家。1963年に浪速短期大学(のちの大阪芸術大学短期大学部)の美術科を出た。この頃、地元の画廊の展覧会を通じて具体美術協会の創始者・指導者の吉原治良と出会い、1967年に最年少級の会員として正式に具体に加わって、1960年代後半から70年代に活動した、いわゆる第二世代の要の一人となった。松田は、キネティック・アートを手がけた数少ない日本の作家として注目された。円熟期の作は、多くが単色(しばしば白)の正方形のパネルで、その素っ気ない表面の裏に、モーター・歯車・配線からなる精密な機械の仕掛けを絶えず動かして隠した。正方形と白を選んだのは、物としての視覚の存在を抑え、代わりに隠れた機械の動きそのものに注意を向けさせるためだと説き、具体の第一世代のより身振り的で物質的に表現豊かな作とは異なる、理知的で抑制のきいた優雅さの効果を生んだ。キネティック・アートへの傾倒は、先駆者のキネティック・オプの作家ヤコブ・アガムとの接触が契機とされ、のちにパリでも作を発表した。画歴の早い1966年、第10回シェル美術賞(出光美術賞の前身)で大賞を受けた。1984年に大阪・難波に美術教室兼画廊(文星堂/ギャラリー堂の名で伝わる)を開き、生徒とともに教え発表して、1998年に肝臓癌のためと伝わる没まで、制作と教育を結んだ。出品歴の全容や後年の受賞は英語資料では記録が限られる。

美術運動

具体美術協会
戦後

吉原治良が率いた戦後日本の前衛美術の集団

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松田豐から広がる系譜

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