ArtNote/作家/白髪富士子
ARTIST

白髪富士子

1928 – 2015日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 白髪富士子の生涯 1928–2015

白髪富士子(旧姓・上村富士子、1928–2015)は、具体美術協会の最も早い時期の女性会員の一人である前衛美術家。大阪・関西を拠点とし、正規の美術教育はほとんど受けなかった。1948年、京都市立絵画専門学校の学生だった画家・白髪一雄と結婚し、その制作を見て自らも作品を作り始めた。1952年にゼロ会に加わり、55年6月頃、ゼロ会の会員とともに結成まもない具体美術協会に加わった。1950年代前半から61年まで活動し、破いたり皺をつけたり糊で貼ったりした和紙による、触感ゆたかでほぼモノクロームの作品を作り、のちには割れたガラスや蝋、火も用いて表面の質感を広げた。1955年には芦屋での野外展『真夏の太陽にいどむ現代美術野外実験展』に大作の白い板を出品した。その仕事はバーネット・ニューマンやマンゾーニ、クライン、フォンタナと並べて論じられる。1961年の第10回具体展を最後に制作をやめ、夫の画業を支えることに専念した。現存作は20点に満たない。2015年に没した。

美術運動

具体美術
1950年代

吉原治良を中心に、既成にとらわれない自由な表現を追求した戦後日本の前衛。

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白髪富士子から広がる系譜

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