ARTIST
守住勇魚
MORIZUMI Yuna
1854 – 1927日本 出身徳島 / 大阪 / 京都
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■ 守住勇魚の生涯 1854–1927
守住勇魚(もりずみいさな、1854年12月27日-1927年3月4日)は徳島県徳島市出身の洋画家。徳島藩の御用絵師で住吉派を学んだ守住貫魚の次男として生まれ、幼少期から父に日本画(住吉派)を習った。1875年に上京し国沢新九郎の彰技堂で洋画を学び、翌1876年、日本最初の官立美術学校である工部美術学校に入学。1878年、浅井忠らとともに同校を退学し「十一会」を結成した。その後徳島に帰郷、大阪に出て大阪専門学校の画学教員となり、京都に移って1895年から1917年まで同志社で絵画を教えた。1893年頃からは再び日本画の制作に戻ったとされる。明治初期における洋画導入期の先駆的な画家の一人として位置づけられる。
美術運動
十一会(工部美術学校離脱グループ、初期洋画)
明治初期
1878年、工部美術学校を退学した浅井忠らとともに結成した洋画研究グループ。日本における西洋画導入初期の動向の一つ。
守住勇魚から広がる系譜
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同時代の作家
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