ポストモダン建築
ラスベガスの安っぽい看板建築を、真剣に測量して歩いた建築家たちがいた。ロバート・ヴェンチューリらが一九七〇年前後に唱えた主張は明快だった。装飾を排したガラスと鉄筋コンクリートの直方体こそ正しい、というモダニズム建築の禁欲的な教義に対し、看板も、張りぼての柱も、俗悪と切り捨てられてきたものにこそ都市の生きた言葉があるのではないか、と。この逆転の視線から、ポストモダン建築という運動が動き出す。
背景には、モダニズム都市計画への深い不信があった。効率と機能だけを追求した高層住宅群がかえって荒廃を招く例が各地で報告され、人間味を欠いた均質な建築への疑問が広がっていた。そこで建築家たちは、歴史的な様式や地域の伝統に目を向け直す。ギリシャ神殿の柱頭やゴシックの尖塔飾りが、皮肉やユーモアを込めて引用され、時にわざと安っぽく、時に過剰に組み合わされた。過去を捨てるのではなく、過去を茶化しながら再利用する態度が、この運動の核心である。
代表的な作家として、アルド・ロッシは記憶と類型を重んじる静謐な建築で知られ、都市そのものを歴史の堆積として捉え直した。ジェームズ・スターリングは古典的な要素を大胆に組み替え、ミラノのエットレ・ソットサスは家具やプロダクトの分野から色彩豊かな装飾性を建築の議論に持ち込んだ。フランク・ゲーリーやピーター・アイゼンマンは、この文脈から出発しながら、やがて幾何学そのものを解体する方向へ進み、後のザハ・ハディドやダニエル・リベスキンドによる曲面と脱構築の建築へと道を開いた。
いま作品を見るときの勘所は、装飾や色彩を単なる悪趣味と見ないことにある。柱や破風は真面目な引用であると同時に軽い冗談でもあり、その二重の視線を面白がる態度こそがこの運動の遺産である。モダニズムへの反発として生まれたポストモダンは、やがて建築の形態そのものを揺さぶる後続世代を準備し、様式の唯一の正解などない、という感覚を建築界に定着させた。